おすすめスポット/和歌山城の歴史を体感! ドラマ&パワースポット巡り/和歌山城公園
和歌山市のシンボルである「和歌山城」。
桜や紅葉の名所でも知られ、子どもたちが遠足などで訪れる、和歌山市民にはとても身近な公園でもあります。
私は四季を感じ、鳥の声や虫の音を聞きながら、緑が多い城内を散歩するのが好きです。
あるとき、何となく目にした立て看板に「大奥跡庭園」と書かれていました。
「大奥ってドラマや映画に出てくる大奥?」と、それまで一度も歴史には注目していなかったことに、はたと気づいたのです。
それ以来、立て看板や説明書きを読みながら城内を散策すると、当時のことが少し身近に感じられるようになりました。
ドラマチックで美しい箱型の橋
和歌山城は440年ほど前の1585年、豊臣秀吉が弟の秀長に命じて築城しました。
以後、浅野幸長から徳川頼宣に藩主が代わり、約250年間紀州徳川家の居城でした。
「建てたのは、豊臣家だったのね」。
何回も訪れているのに、このことさえ知らなかったのです。
「大奥跡庭園」と書かれた立札は、「二の丸庭園」にありました。
現在の二の丸庭園は、立て札がある西側は開放感があり、東側は木陰を楽しめるゆったりとした広場です。
家族やお友だちとピクニックをする人がいたり、本を読む人がいたりと、人々がくつろぐ憩いの場所でもあります。
徳川時代の「二の丸」は和歌山城の中心であり、表、中奥、大奥に分かれていたそうです。
東にある「表」は藩の行事の場、「中奥」は藩主の公邸、西にある「大奥」は藩主の私邸と奥女中の生活の場所でした。
さらに、西側にある「西の丸」には能舞台や茶室、庭園があり、藩主が自然・風雅を楽しんだそうです。
二の丸と西の丸の間にはお堀があり、「御橋廊下(おはしろうか)」が架かっています。
この橋は、藩主とお付きの人だけが行き来できた橋。
外からは姿が見えないように天井と壁に囲まれ、とても趣がある姿です。
橋には傾斜があり、二の丸側が高くなっています。
その床は、滑り止めのために板を重ねた階段状の造りです。
現在は靴を脱いで自由に渡れるのですが、板の角が足の裏に食い込みとても歩きづらい。
ほとんどの人が、「痛い〜」と言いながら渡っていきます。
御橋廊下は平成18年に復元されたため、比較的新しく、内部はとても美しいのです。
姿を隠して渡る橋は、とてもドラマチック。
壁に点々とついた窓から外の景色を見ると、特別な気分に浸れます。
当時のことを想像するとワクワクする、私の大好きな場所です。
空襲の大火に唯一残った「大楠」
和歌山城公園にはいろいろな史跡がありますが、もう一つおすすめの場所をご紹介します。
和歌山城の正門「大手門」近くに、「一の橋の樟木」の立て札があります。
そのそばにある石垣を見上げると、和歌山県指定天然記念物の大きなクスノキがそびえ立っています。
このクスノキは、公園の案内地図には「大楠」と表記され、二の丸庭園の東端に植えられていました。
クスノキには白蛇が住んでいたと言い伝えられていて、「白龍大神」「樟樹大神」と共に御神木としてお祀りされています。
樹齢は約500年。
戦国時代から現在に至り、その間和歌山城の歴史を見守ってきました。
1945年の和歌山大空襲では、市街地の7割が焼け和歌山城も焼失しましたが、このクスノキは生き残ったそうです。
以前、私がお詣りしている間に3人の男性が来られ、「ここに来るとパワーがもらえる」とクスノキに触れていかれました。
エピソードを聞いたからか、それ以来私もこの場所に来るとゾクゾクっと鳥肌が立つのを感じます。
今回もクスノキに触れ、パワーをいただき公園を出ました。
多くの人に愛される公園
和歌山城公園には、いろいろな楽しみ方があります。
動物園には100年の歴史があり、子どもたちが遠足でよく訪れます。
また美しい石垣や4か所ある城門は、歴史的に重要な史跡です。
石垣に暗号のような謎のマークがあったり、忍者が現れたり、テレビ番組で話題になった場所があったり。
来るたびに何かしらの発見があり、知れば知るほど訪れたくなる場所です。
基本情報
所在地(住所):和歌山県和歌山市一番町3番地
連絡先電話番号:和歌山市役所 和歌山城整備企画課 073-435-1044
営業時間:24時間
定休日:なし
駐車場(台数):あり
利用料金:なし
(公衆)トイレの有無:有り
地域リポーター・渡邉千穂